わたしの絶望史①
世界の見え方が一瞬にして変わってしまう。
そのような経験はよく宗教的な回心として語られますが、
わたしもそのような経験をしたことがあります。
それは中学三年の夏休みが終わった頃、部活も引退しいよいよ本格的に
受験勉強に向かおうという時でした。
それまでは部活で忙しく自身のことなんて考える余裕がなかったわたしは、
時間ができたことで少し将来のことを考えたり、今までの人生を振り返ったり
していました。その当時わたしはすごく充実した生活を送っていて、
夏期講習の模試で県内トップの点数をとったり、勉強も結果が出て第一志望の高校に
問題なく受かりそうでした。
しかし、一方で部活を引退してしまったことで運動をしなくなり少し自分を
持て余していたのです。
「考えてみると、子供の頃から運動ばかりしていたなぁ」
幼い頃から外で動き回るのが好きで、小学生になってからは水泳、サッカー、
バスケと週のうち6日は外で走り回っていたました。競技会に出ればそれなりの
結果を残し、スポーツに関してはずっと充実していました。
だから、一度スポーツから離れてみると、余裕ができたとともに
何か心にぽっかりと穴が開いたようでした。
ある日塾からの帰り道に将来について考えを巡らせている時でした。
「将来を決めるために、わたしの中には何があるんだろう。
どんなものをもっているのだろうか?」
そんな疑問に対し、自分の中にあった答えは「勉強」と「運動」だけでした。
本当にそれしかなかったのです。どちらも自分なりに結果を出せていたし、
周りからも評価されていて自分にとってそれらは本当に確かなものでした。
しかし、自分には「勉強」と「運動」しかないと気づいた瞬間に
まるで急激に世界が歪んでいくような経験をしました。
「自分のなかで確かなものだと思っていた「勉強」と「運動」それを取り去ってしまえば、わたしのなかには何も残らない。わたしは何も持っていない。
『確かだ』と思っていたことも、単に自分が勝手にそう決めつけていただけで、
ただの勘違いに過ぎない。わたしには本当に何もない。
何かあると思い込んでいただけなのだ」
そのような考えが去来して、本当に夢から醒めるように急激に
頭が冷えていくようでした。今までの経験のなかで漠然と知っていたことが
急激にはっきりとした像を結び、ものすごいリアリティを伴って迫ってきたのです。
「自分が今ままで信じてきたものには、根拠がない。自分が勝手に信じていただけだ」
そのあと家まで帰る道すがら見た景色はやけに空々しく感じられました。
すべてのものは無意味で、フラットで薄っぺらい。
自分とはまったく距離のあるよそよそしい世界。
わたしにとって、生きる意味のようなものはまったく失われてしまい、
それからはまるで死んだように生きていくことになります。