絶望を乗り越えるための仏教

どのようにして絶望したか、そしてをそれを乗り越えるために何をしたか

2016-01-01から1年間の記事一覧

正しいことをするということ

仏教(パーリ経典に描かれるような)においては「正しいこと」というのは それそのものとして存在するものではないようです。 八正道の定義など(中部『大四十経』にまとめられているように)「正しいこと」 というのは「『悪くこと』をしないこと」として表…

今の自分の実践

先日、瞑想についてある方とお話をしていた時に、ふと気付いたことがありました。 それは、わたしは瞑想経験の多くを過去形で話している、ということです。 実際わたしがヴィパッサナーの実践で経験したことはほとんど全て、死ぬ気で 修行していた2ヶ月間に…

苦しみがほんの一時だけ終わったある日のこと

ちょうどクリスマスイブのことでした。 その日は朝からビーフシチューを作っていて、没入しないように 冷静に作業をしていました。早く正確に無駄なく集中して。 そんな調子で作り終え、慈悲の瞑想をしながら鍋をかき混ぜているときでした。 不意に、暖かく…

「受け入れられない自分」を受け入れる

障害を持った人(わたしもその一人ではあるけれど)と話していると その人自身が障害者に対して強い偏見をもっていることがあります。 それは単純に誰かの受け売りかもしれないし、自分がされてきたことを そのまま他の人にやり返しているだけなのかもしれま…

「苦」を知る

あの時期は、1日に9時間ほど外を歩きながら瞑想し、家では2時間座っていました (その合間にも歩く瞑想や立つ瞑想、食事の瞑想を行っていました)常に気づきを 保つようにし、疲れ果ててよく気を失うように眠っていました。 それでもそのようにしているこ…

「そのままでいい」という困難

セラピーにしろ宗教にしろ一つの考え方としてクライアント(受け手)を 「そのまま」「ありのまま」肯定するというアプローチがあります。 それは一つ有効な手段だと思います。 なぜなら、人は基本的に他者からの承認を求めるものであるからです。 セラピー…

わたしの絶望史①

世界の見え方が一瞬にして変わってしまう。 そのような経験はよく宗教的な回心として語られますが、 わたしもそのような経験をしたことがあります。 それは中学三年の夏休みが終わった頃、部活も引退しいよいよ本格的に 受験勉強に向かおうという時でした。 …